昨年本学文博狗在线_博狗体育在线@の大島明秀教授が第82回西日本文化賞?奨励賞(学術文化部門)を受賞したことを記念して、2024年6月1日(土)に公開講演会「第82回西日本文化賞受賞記念講演会「学問の視点と方法―「鎖国」研究を事例として―」」を行いました。参加者は110名で高校生や大学生をはじめ多くの方々にご参加いただきました。
講演は、幼少年期の環境や知的関心の話から始まり、どのようにして学問をする人生を選択するに至ったのかに続き、そこから紆余曲折した過程を経て「世界の中の江戸」「外から見た江戸」に関心を抱き、元禄3-5年(1690-1692)に来日したドイツ人博物学者エンゲルベルト?ケンペル(Engelbert Kaempfer)に辿り着いた経緯を踏まえ、講師が修士課程で題材としたケンペルの日本研究、とりわけ神道研究について、大英図書館に所蔵されるケンペルの手稿やヨーロッパに持ち帰った資料を交えながら解説しました。
ついで、博士後期課程から行った次の研究の展開に話が及び、1727年に刊行された著書『日本誌』(The History of Japan)の享受史に着手したこと、特にその附録論文の一篇を訳し、「鎖国」という言葉を日本語に導入することになった『鎖国論』の受容史を眼目としたこと、さらにそれを解明するためにどのような学問的方法を用いたのかが説かれました。そしてその研究成果として、江戸時代を「鎖国」と見る発想が後世に作られたもので、言葉の淵源である『鎖国論』が普及しながらも近世には「鎖国」観は根付かず、それが普及?浸透したのは、帝国主義?脱亜入欧を推進する明治20年代以降の日本であり、とりわけ国定教科書に描かれたことによって「世界から遅れた日本」の表象として「鎖国」が用いられた史的事実を究明したことが話されました。